2013年5月19日日曜日

安部公房「箱男」難解だが楽しめた。
たった今読了したばかり。感想を書くには、もう少し咀嚼し消化する必要がある。
これから読書会に行こう。

そういえば、高校時代に文化祭でこの小説の冒頭に詳しく書かれた「箱男」の作り方どおりにダンボールで「箱男」の「箱」を作って、「箱男コーナー」を作っていたヤツがいたように記憶している。私の高校のころは、安倍公房とカミュが人気で、みんな読んでいた。

ところで、 この文庫本を読み終えて、巻末の解説なんか読むのは興ざめだと思っていた。たいていつまらないことが書いてある。そう思って見たら早稲田の仏文研の顧問だった平岡先生がお書きになった解説文。読んでみよう。平岡先生も数年前に鬼籍に入られたらしい。

平岡先生のお名前で検索したら下記の文章を見つけた。
ウェブサイトの文章って更新されて消えることがよくあるので、ここにコピペしておくことする。
(今さら若気の至りというか、恥ずかしくてひとさまには言えないが、私だって中高生のころは文学少女だった・・・だから早稲田に行こうと思ったんだから・・・。)


現代文学と早稲田

平岡篤頼
 
 昨日のこと、朝の10時から仏文科の大事な会議があって、3時頃終わり、教員ロビーでお茶を飲んでいたら、A先生が「またまた、早稲田だね、三人だよ」と言った。「え?」と聞き返すと、「芥川賞直木賞だよ、四人のうち三人が早稲田なんだ。君が知らないとは驚いたな、今朝の新聞に出てたじやないか」とお叱りを受ける。
 帰宅して、急いで新聞をみるとたしかにその通り、芥川賞が『自動起床装置」の辺見庸、直木賞が『青春デンデケデケデケ』の芦原すなお、『夏姫春秋』の宮城谷昌光で、三人とも文学部卒だ。辺見氏は共同通信社外信部次長、宮城谷氏は立原正秋編集長時代の「早稲田文学」に作品を載せたことがあるから、 ふたりとも40歳を越している。それにしても、である。前回の芥川賞も、文芸科卒の小川洋子(『妊娠カレンダー』)だし、その少し前の直木賞も『遠い国からの殺人者』の笹倉明だった。どうして、こうぞろぞろ出てくるのか。
 ぞろぞろ、などと虫けらみたいに言うのは語弊があるが、率直な印象はそんなところである。4月には、小川洋子を指導した教師として、「海燕」誌上で対談したし、かと思ったら6月には、ごく親しくしている仏文卒の渡辺諒君が「群像新人文学賞」の評論部門を受賞したので、お祝いのパーティに招かれた。この時の小説部門の当選作も、多和田葉子の『かかとを失くして』というのだったが、1960年生まれのこの女性も、現在はドイツの大学院に学んでいるが、早稲田の露文科卒だった。昨年の評論部門の当選作「『豊饒の海』あるいは夢の祈り返し点」の森孝雄も稲門出だ。おなじく、『世紀末鯨鯢記』で文芸賞と三島由紀夫賞をさらつた久間十義は、仏文出身だ。
「群像」のこのパーティでは、旧知のある編集者に「どうして、こうぼこぼこ早稲田からばかり出るんでしょうね」と、お世辞まじりに質問された。しかし、ぞろぞろだかぼこぼこだか知らないが、こちらでさえ呆気に取られているので、「さあねえ、何故なんでしょうねえ。素質のある学生が勝手に早稲田に来て、勝手に育つんでしょうかねえ」と、はなはだ無責任な答えを返すしかなかった。一に学生、二にキャンパス、三、四がなくて五に教師、などと学生にこき下ろされる程ではないにしても、何程のことを教師が教えこめたろう。だいいち、最初から無い才能を育てることなんか、金輪際できっこない。
 恐らくは、教師が講義で教えることよりは、学生相互の会話のほうが余程刺激になるのであろう。現代文学会とかフランス文学研究会とかのサークルでは、先輩の誰が何賞をもらったとか、そんな宣伝文句が入会勧誘に使われているかも知れない。知れない、というよりはまったく知らない。サークル活動は、ほとんど教師と連絡なしに自主的に行われていて、私などもフランス文学研究会のたしか顧問だか何だかを勤めていることになっているが、学生に会ったためしがない。多分、そのほうがいいのかも知れない。もっと彼らの中に入っていって、積極的に指導したいなどという教師に限って信用できないのではあるまいか。
 またまた、余計なことに筆が滑ったが、8年間ほど文芸科の主任をやり、それ以上に長い間「早稲田文学」の編集に携わっていて学んだのは、事、文学に関する限りは学生と教師も対等だということだ。
 栗本薫や荒川洋治とは、彼らが文芸科三年の時に出会ったが、その時からこちらが学ぶことが多かったという気がする。知識はこちらのほうが多かったが、 面構えをはじめとして、自分の好みに徹し、自分のやりたいことに集中するという点では、ふたりとも群を抜いていた。笹倉明とか波辺諒とかとも友達のような付き合いだった。批評家として売出し中の渡部直巳など、フランス語では随分いじめたものの、 教室の外では大の遊び仲間だ。
 なにをどう言おうと、何故早稲田からこんなに続々物書きが現れるかという理由は、中にいる人間にはほとんどよくわからない。いっそ、外にいる人に決めてもらつたほうが良さそうだ。それに、大勢出るということ、文学賞をもらう人間が多いということも、実は文学の根本的な評価基準からすると、どうでもいいことだ。文学は足し算ではない。百人の新人賞受賞者を足したら、一人の漱石や一人の荷風や一人の鱒二に匹敵するかというと、そんな単純な算術は成り立たないからだ。だから、「早稲田文学」創刊百周年といったお祭りに免じて許して貰うことにして、この種の文章はなるべく書きたくない。
 以上挙げた名前の他にも、ここ数年、見るべき仕事を世に問うた若い書き手が、私のいわゆる《教え子》の中に何人もいるが、彼らに何も教えたという自信はない。文学の世界では、自分が目のつまったいい仕事をすることでしか、真に教えるということは出来ないと思うが、研究の面でも創作の面でも、 私がこの十年ほど怠けたことはないからだ。「早稲田文学」の編集にたずさわることで、三浦哲郎や高井有一や後藤明生ら、ずいぶん多くの稲門出作家たちとの交流の機会を得たが、あっちで入院、こつちで手術などという話を聞くと、当方の残り時間も少なくなったかのようで、気が気でない。村上春樹や青野聡や三田誠広の活躍には対抗すべくもないとしても、やはり《教え子》の夫馬基彦や《飲み友だち》の石和鷹に、「今に見ていろ」などとほざいてみせるぐらいが落ちで、そんな地を這う状態で仰ぎみると、芸術院の高みでなお悠々と仕事をされている井伏鱒二とか新庄嘉章とか八木義徳といった大先輩たちのスケールはやはり凄いと言うしかない。

2013年5月15日水曜日


読書ノート

P.D.ジェイムズ (), 小泉 喜美子 (翻訳)

数年前に英語のペーパーバックを購入し読み始めたのだが、読了する前に紛失してしまった。 アマゾンで古本を50円程度で見つけたので購入。早速日本語で読み始めた。
舞台は英国ケンブリッジ。ロンドンのリバプールストリート駅から電車で約1時間行くと到着する世界有数の大学街だ。かつて私も友人を訪ねてこの駅から電車に乗って何度か行ったことがある。(駅名とか地名が懐かしかった。)

P.D.ジェイムズは、寡作ではあるが良質な作品を発表する女流ミステリー作家で、これは彼女の初期の作品。P.D.ジェイムスは、本名をフィリス・ドロシー・ジェイムズ(Phyllis Dorothy James)と言う。 1920年生まれで存命。(今年93歳) 1983年にDBE(大英帝国勲章中等勲爵士)に叙され、1991年に一代貴族の男爵(ホランド・パーク男爵)に叙されている。重厚で沈鬱な場面設定と緻密な描写、病院や官僚制に舞台を取る込み入った人間関係を描くことで知られる。エンターテイニングなミステリーだと思って軽い気持ちで読み始めると、意外な重々しさに難しいと感じる人もいるかもしれない。たしかに彼女の作品は「陰鬱荘重な雰囲気、部厚さ、極端に改行の少ない文章、相当な本格ファンでも途中で投げ出したくなるような描写の執拗さ」(註) からマニア好みと言われている。他のミステリー作品だと登場する人物の描写も平板で奥深さを欠き、前半を読むだけでプロットや犯人や犯罪動機まで透けて見えて、退屈することが多いが、彼女の作品は、登場人物も個性豊かで、ミステリーとしても、最後まで、謎が解けず、楽しめる。

私がP.D.ジェイムズが気になるのは、小説の内容が重厚でありながら、ミステリーとして完成度が高く、楽しめることもあるが、彼女が医師と結婚し子育てをする普通の平凡な主婦であったこと。そして、医師の夫が戦争で精神を病んでしまったことから、生計のため社会保険事務所で働き始め、内部試験に合格し公務員としてもそれなりの地位に昇り、少年犯罪など警察関連の業務を担当し、定年退職してから、本格的に作家活動を始めたという経歴を知ったからだ。(そう言えば、フランツ・カフカも社会保険事務所に勤める平凡な公務員だった。) 90歳を過ぎても作品を書き(本人は最後の作品と言っているが・・・)、知的で悠々とした老後を送る女性である。 できたら、私も彼女のような人生を送りたいものだと秘かに願っている。(ここで書いたからもう「秘か」ではなくなったけど・・・。)

(註)ハヤカワ文庫巻末の解説―瀬戸川猛資「コーデリア姫とダルグリッジ探偵」より


2013年5月5日日曜日

読書ノート

旗本夫人が見た江戸のたそがれ―井関​隆子のエスプリ日記 (文春新書 606) 

2013年5月2日木曜日


読書ノート

つゆのあとさき
永井荷風

昭和初期の東京の風俗や街の様子が興味深かった。井原西鶴の時代からここに描かれたような快楽主義は存在したのだろうが、小市民生活を送る私などには伺い知れない世界でもある。登場する男達は作家や金持ちの老人や商人や元役人や元箱屋(箱屋って何だ?)とか、30代後半から60代まで幅広い年代だが、飛んでもない放蕩者たちだ。(女性は20歳とかめちゃくちゃ若い。30歳の女は大年増とか呼ばれている。)   唯一、作家の清岡のマネージャーみたいな仕事をしている男が「昔ながらの守銭奴」的生き方をしていて、面白い人ではないし小説の主人公にはなりづらいだろうけど、現実世界では安心できる人物はこういうタイプだろう。あと若い文学青年の村岡もいい奴って感じだ。 あとは人格的にもひどい奴らが結構欲望のままに生きている。

使われている当時の日本語も、なんとなく想像はできるけど、はっきりとは意味の分からない言葉などもあるし、言い回しが現代とは違っているのが面白い。日比谷からJRのガードをくぐった今の銀座5丁目6丁目あたりは尾張町と呼ばれていたり、あと、荒木町や牛込とか、今は使われていない町名も、今はどこなのだろうと調べてみたりした。

銀座通りのカフエ(カフェではなくカフエと発音していたらしい)の内部の描写も詳細だ。イタチくらいの大きさのドブ鼠がいたり、大きな馬バエがいたりするのは、なんとも不潔。世田谷が田舎で別荘地みたいに描かれていて、昭和初期の東京はまだ今の山手線の内側の地域が中心だったということが分かる。

主人公の女は享楽的な性格の怠惰なカフエの女給(今で言うとホステスみたいな仕事らしい)で、彼女がカフエへの通勤に使う電車は路面電車で、銀座から新宿まで走っていたようだ。途中に半蔵門とか四谷見附とかを通って行く。この路線は多分都電が廃止され後、バスが運行されるようになったらしい。この同じ路線をこの間までバスが走っていた。私は、時間があるときは日比谷から新宿まで行くこのバスに乗ったりしていたけど、先日いつものバス停に行ったら、廃止されていた。今は地下鉄もできたから利用者が減ったので、廃止になったのかもしれないが、お堀端や最高裁判所や国立劇場などが車窓から見えて、楽しい路線だったのに残念。地下鉄ではあの景色は楽しめない。

あと、建仁寺垣とか瓦塔口とか吉原五徳とか・・・・東京の過去の生活や風物の描写など興味深い。戦争もあったし、80年ほど前から、その姿が大きく変わったのは当然だとしても、変わりようが面白い。

小説のストーリーより、現代から見ると珍しい昭和初期の東京の風物に興味がそそられた。

この小説は、「青空文庫」で無料ダウンロードして、iPad Miniにて読了。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/52359_47397.html