2016年2月22日月曜日

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え


嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え 

岸見 一郎  (著), 古賀 史健 (著)

自己啓発本とかあまり読まない私だが、この本の売れない時代に大ベストセラーになっていると聞いて読んでみた。アドラーは名前を聞いたことはあったけど、フロイトやユングのように内容まで知らなかった。対話形式で簡単に読める。

「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」「他者の期待を満たすために生きてはいけない」軽く聞こえる言葉だが、よく読んでみると誰にでも思い当たるフシがあり、自分の人生のあり方を考えると、深い意味を含んでいることに気づく。スティーブ・ジョッブズもスタンフォード大の卒業式で行った有名なスピーチで、Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. と言っている。

ジョッブズもアドラーを読んでいたのか? 日本語訳すると、「人生は短い。他人の基準で生きるのはやめろ。」つまり、他人の期待に応えることばかり考える人生は無駄だという意味もある。この本を読むことは、一歩踏み出せない人には、良いきっかけになるかもしれない。

2015年8月29日土曜日

旅立ち 遠い崖1 アーネスト・サトウ日記抄 萩原延寿著

幕末の日本に憧れを感じて、はるばるやってきた19歳のサトウに不思議な親しみを感じる。

アーネスト・サトウはその著作「外交官の見た明治維新」で幕末の日本史に名前を残した。ちょっとしたきっかけで、彼がロンドンのミルヒルスクールの卒業生だと知った。(私がロンドンに住んでいた頃、ミルヒルスクールは日本人駐在員の子弟も結構学んでいて、親しみのある学校だ。)
彼は兄が持っていたローレンス・オリファントの著作『エルギン卿遣日使節録』を読んで日本に憧れていたとのこと。ロンドン大学のユニバーシティ・カレッジ在学中に英国外務省の日本語通訳生の募集を知り応募。試験に最年少で首席で合格。19歳で幕末の日本にやってきた。その後20年以上日本に住んだサトウは日本人女性との間に三人も子供がいたという。日本研究者としても有名で多くの業績も残しているとのことで、興味を感じて彼について検索しているうちに、この本にたどりついた。
著者の萩原延寿は、英国国立公文書館に所蔵されているサトウ関連の公文書や膨大な日記や家族・友人への手紙を読み解き、サトウが交流した人々の業績・足跡を辿っている。サトウは日本語を流暢に話しただけでなく、文語の書簡なども自由に読みこなす語学力を持っていたという。英国サイドから語られる幕末史は非常に興味深い。全14巻のこのシリーズだが、第一巻は面白くて、またたくまに読了。先程第二巻を注文。
(サトウという姓だが、この名前は日本とは関係がない。彼はロンドンで、スウェーデン人の父とイギリス人の母との間に生まれた。)


写真は若い頃のサトウ

2015年6月16日火曜日

People Who Eat Darkness: The True Story of a Young Woman Who Vanished from the Streets of Tokyo--and the Evil That Swallowed Her Up

「ルーシー・ブラックマンさん事件」に関して書かれた本。キンドル版を購入し 読了。
『黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』として日本語版も最近出版されたらしい。
あの事件の頃、私は米国に住んでいたが、もうあれから15年も経ったのだ。時が経つのは本当に速い。
そう言えば、昔、私の知り合いの外人にも、軽い感じで銀座とか六本木でホステスのバイトをしていた女性が何人もいた。海外なら普通レベルの容貌なのだけど、日本だと金髪なので、ものすごくモテるようだった。
著者のリチャード・ロイド・ペリーは、イギリス人のジャーナリスト。日本とイギリスで丹念に取材を重ね、犯人そして、被害者の生い立ちや背景を克明に調べあげている。そして、織原という名前に行く着くまでに幾つもの名前を持った男の出自と複雑な生い立ちだけでなく、一見普通の家庭の出身に見えた被害者にもドラマがあったことを知った。
意外だったのは、当時日本のテレビにも出て、行方不明の娘を安否を気遣い情報を求めていた父親の評判が芳しくないこと。たしかに、私は、アメリカで放送された日本のテレビのニュースで彼が話すのを観たとき、ちょっとした違和感を感じたのだが、それは彼の人格のそういった部分が投影されていたのが原因なのかもしれない。
この事件の数年後に、リンゼイ・アン・ホーカーさん事件が起き、また一人英国人の女性が殺害された。世界一安全なはずのこの国でこのような犯罪、それも女性に対する犯罪が、起きるの悲しいが、世界的に見れば、日本はまだまだ超安全な国であることは確か。
こういう事件が起きると、普通の市井の人間からは想像もできない生い立ちや生活をしている人がいることを知り、「事実は小説より奇なり」というのは真であるとことを再確認する。・・・(イギリスの詩人バイロンの『ドン・ジュアン』にある「Fact is stranger than fiction.」から来ている言葉というが、昔からそういうことなのだろう。)
"People Who Eat Darkness: The True Story of a Young Woman Who Vanished from the Streets of Tokyo--and the Evil That Swallowed Her Up "
by Richard Lloyd Parry
http://www.amazon.co.jp/dp/B007RMYAPA


2014年12月11日木曜日

2014年11月24日月曜日

IBM Centennial Film: 100 X 100 - A century of achievements that have cha...



100年以上トップ企業として君臨するIBMの歴史をみてみたい。
「貧民に墜ちた武士: 乞胸(ごうむね)という辻芸人 (河出文庫)」
江戸時代の賤民の中には、私がこれまで聞いたことのない乞胸や猿飼と言った身分の人がいた。猿飼は陰陽五行から馬を猿に守らせる習俗があり、武家の厩(うまや)で、祈祷をしていた専門集団であったという。乞胸(ごうむね)は、万歳や曲芸、踊りなどの大道芸をして金をもらった乞食の一種であったらしい。身分的には町人だったが稼業としては非人と同等とされた。
驚いたのは、乞胸と呼ばれた人々の多くが武士のなれの果てであったということだ。関ヶ原や島原の乱で禄を失った浪人のなかには、才覚のあるものは儒者や剣術の師範とかになった者や、商人として成功したものもいるが、貧しい辻芸人に身を落とし、「乞胸」として、徳川身分制社会の隅の方で生き延びた一団もいたという。
「あの家康や家光でさえ、武士身分は右肩あがりに繁栄すると信じて、しだいにしぼんで行くとは考えなかった。国替や取り潰しで禄をうしなっても、武士はすぐにつぎの就職先が見つかると考えていた。逆にかれらがいつまでもぶらぶら遊んでないように配慮した。武家屋敷に逗留したり、僧坊に無賃で泊まることを禁じて、再就職を早くするようにしむけた。こぼれ堕ちた武士に口に糊する方途をわざとあたえなかった。おおきな誤算が、江戸の浪人を困苦の巷に投げ出した。」
元は武士であったことのような人々も他の賤民と変わらぬ貧しい身なりで辻芸人などをして生き延びたのだというが、徳川身分制ではこれらの乞胸にも世襲の乞胸頭という者をおいて管理した。
また、時代劇によく出てくる虚無僧なども失職した武士たちで、禅宗の一派である普化宗の僧という半僧半俗の形で、尺八を吹き喜捨を請い諸国を行脚したが、明治に入り、托鉢を強要する品行の良くない武士団として普化宗もろとも廃止された。
この他、これも時代劇で出てきたけど、いったいどういう人達なのだろうと思っていた「鳥追い」と呼ばれる女性達の正体もわかった。鳥追い(とりおい)とは、正月の祝い各戸を回って鳥追い唄を歌う門付芸人のことだったが、後に編笠に縞の着物水色脚絆に日和下駄の女芸人として三味線を引いて門付をするようになったという。当時の身分的には非人に属したらしい。
明治になって四民平等となり、31万人の武士は一払いの金禄公債が下付され、継続的な収入であった禄を断たれた。その後、困窮する武士も多く出て、徳川時代に由比正雪の乱(慶安の変)が起きたように、明治維新で「浪人になった武士の反乱」である神風連、秋月、萩の乱が起き、西南戦争が起きた。
どの時代にも変化について行けず、取り残され、零落する人々がいる。封建時代に皮革製造者及び処刑担当の賤民達は新たな時代に入って、徴兵制により軍靴が必要になると分かると海外から技術者を呼んで、その製造技術を学び、新たな時代に対応した。
現代も、私達はグローバル化やアジア諸国の台頭という流れの中の大きな変化に対応していかなくてはならない。昔は良かったと懐かしむ人々はいつの時代もいるが、昔も今も人間が置かれた状況はそう変わらないのだということだ。

http://www.amazon.co.jp/dp/4309412394


2014年11月17日月曜日

チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男 単行本 – 2012/9/7 遠藤 誉  (著)

2年前に失脚した薄熙来について書いた本。妻で優秀な弁護士だった谷開来の英国人ビジネスマン殺害とかのスキャンダラスな事件が絡み、読み物としても面白かったが、書き方が中国の公式見解に寄り添いすぎではないかと思う部分もあった。しかし、著者は、中国問題専門家として、中国中枢と通じ内部の情報を掴むためには、中国政府と良好な関係を維持する必要があり、そのためにはこういう書き方をせざる得なかったのだろうと好意的に解釈。
薄煕来は、経済成長に取り残され毛沢東時代を懐かしむ不満グループを扇動し支持を得ることで実権を得ようとした。しかし、彼のやり方は、文化大革命で大きな犠牲を払い、個人崇拝を排除しようとしている政府中枢の方針とは対立するものだった。
日本のマスコミなどの報道では、薄煕来は習近平などとの革命二代目間の勢力争いで敗退したという説明をしていたが、実は彼と中枢権力機構との間には、それより深い政策・戦略的な亀裂が存在していたのだ。彼は、本質を見誤り、政策ないしは思想的、かつ人格的にも、今の中国政府中枢の流れと相容れないタイプの政治家だったということだ。
中国共産党による建国以来、経済的な封じ込め政策により、世界経済の発展から切り離されて、自給自足状態だったのが、改革開放で真空状態に空気が入るように急激に経済が成長。急成長の副産物として利権が絡んだ不正がはびこるのは歴史をみればどこの世界でもあったことだ。薄煕来も巨大な富を蓄積した。しかし、どんなに汚職があり、腐敗した組織・社会でも自浄作用は存在する。
薄煕来事件は、単なる権力争い以上の、中国が自らの今後の行き方を明示し、方向性を正すために起こるべくして起こった事件だったのだろう。