「貧民に墜ちた武士: 乞胸(ごうむね)という辻芸人 (河出文庫)」
江戸時代の賤民の中には、私がこれまで聞いたことのない乞胸や猿飼と言った身分の人がいた。猿飼は陰陽五行から馬を猿に守らせる習俗があり、武家の厩(うまや)で、祈祷をしていた専門集団であったという。乞胸(ごうむね)は、万歳や曲芸、踊りなどの大道芸をして金をもらった乞食の一種であったらしい。身分的には町人だったが稼業としては非人と同等とされた。
驚いたのは、乞胸と呼ばれた人々の多くが武士のなれの果てであったということだ。関ヶ原や島原の乱で禄を失った浪人のなかには、才覚のあるものは儒者や剣術の師範とかになった者や、商人として成功したものもいるが、貧しい辻芸人に身を落とし、「乞胸」として、徳川身分制社会の隅の方で生き延びた一団もいたという。
「あの家康や家光でさえ、武士身分は右肩あがりに繁栄すると信じて、しだいにしぼんで行くとは考えなかった。国替や取り潰しで禄をうしなっても、武士はすぐにつぎの就職先が見つかると考えていた。逆にかれらがいつまでもぶらぶら遊んでないように配慮した。武家屋敷に逗留したり、僧坊に無賃で泊まることを禁じて、再就職を早くするようにしむけた。こぼれ堕ちた武士に口に糊する方途をわざとあたえなかった。おおきな誤算が、江戸の浪人を困苦の巷に投げ出した。」
元は武士であったことのような人々も他の賤民と変わらぬ貧しい身なりで辻芸人などをして生き延びたのだというが、徳川身分制ではこれらの乞胸にも世襲の乞胸頭という者をおいて管理した。
また、時代劇によく出てくる虚無僧なども失職した武士たちで、禅宗の一派である普化宗の僧という半僧半俗の形で、尺八を吹き喜捨を請い諸国を行脚したが、明治に入り、托鉢を強要する品行の良くない武士団として普化宗もろとも廃止された。
この他、これも時代劇で出てきたけど、いったいどういう人達なのだろうと思っていた「鳥追い」と呼ばれる女性達の正体もわかった。鳥追い(とりおい)とは、正月の祝い各戸を回って鳥追い唄を歌う門付芸人のことだったが、後に編笠に縞の着物水色脚絆に日和下駄の女芸人として三味線を引いて門付をするようになったという。当時の身分的には非人に属したらしい。
明治になって四民平等となり、31万人の武士は一払いの金禄公債が下付され、継続的な収入であった禄を断たれた。その後、困窮する武士も多く出て、徳川時代に由比正雪の乱(慶安の変)が起きたように、明治維新で「浪人になった武士の反乱」である神風連、秋月、萩の乱が起き、西南戦争が起きた。
どの時代にも変化について行けず、取り残され、零落する人々がいる。封建時代に皮革製造者及び処刑担当の賤民達は新たな時代に入って、徴兵制により軍靴が必要になると分かると海外から技術者を呼んで、その製造技術を学び、新たな時代に対応した。
現代も、私達はグローバル化やアジア諸国の台頭という流れの中の大きな変化に対応していかなくてはならない。昔は良かったと懐かしむ人々はいつの時代もいるが、昔も今も人間が置かれた状況はそう変わらないのだということだ。
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